wunderkammer : Etudes pour Ecriture

今の気分の備忘録、あるいは、過去の自分の生き直し

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心の底に澱んでいた膿のようなものが全て取り除かれ、清々しい気分で帰途に就くはずだった。心地よい感傷が心を支配して泣くわけでもないのに涙を流してしまうかもしれない、と青臭い期待を抱いてすらいた。だがその期待は裏切られ、私はどうも釈然としないモヤモヤとした感覚を抱えたまま独りに戻ることになった。

「ごめん。」と言う彼女の苦々しい表情の意味が私にははじめ理解できなかった。というよりも、その言葉や表情の意味を理解しようとする前に、私が抱いていた希望を簡単に奪ったその一言に、不満にも近い疑念を持ってしまったといった方が正確だろう。なぜ彼女は、私が求めてもいない「回答」を出してきたのか。彼女の決してはっきりとした言い方ではないが、弁解や反論を許さないような「拒絶」が、私がありえたかもしれない日々を夢想することを決定的に不可能にしてしまったのだ。「気づかなかった。」という言葉は彼女が私の気持ちに文字通り気づいていなかった以上に、私を恋愛および好意を抱く対象として全く見ていなかったということと同意だ。私に見せる一挙手一投足に気を揉んでいる間、彼女自身は何も考えていなかったということだ。もちろん、彼女が私のことをどう思っている(た)かはこの時本質的なことではなかったはずだった。私が目的としていたことはあくまで私の気持ちそれだけを、とにかくただ伝えることであったからだ。だが不意にその言葉と態度を目の当たりにして、それでも彼女に対する感謝や好意を率直に感じることができるほど、私の心は寛大ではなかった。そういった色恋沙汰について、私はあまりにも狭小な考え方しかできなかったのだと、今となっては思うのだが、この時そうは思えなかった。

気持ちを伝えただけなのに、恋に破れたような気分にさせられたことに、どうしても私は納得ができなかった。はっきりと「いや、そういうことじゃないんだ。」と言って弁解をしたかった。ただ、彼女の困り切ったような表情が、言葉を返すことさえ拒絶するようだった。言ったところでもうどうにもならない、どんなに弁解したって状況は変わらないばかりか、そうして言葉を重ねていけば今以上に彼女との距離ができてしまう。そう思うと故郷を出る前の私には何も言うことができなかった。

「うん。そうだと思った。でも本当にありがとうね。今日もこうして来てくれた。」

これ以上言葉を繋げなくなった私は半分逃げるように別れの言葉を切り出した。彼女はどこか安心したようにいつものように笑顔を取り戻して、何事もなかったかのように「じゃあね。」と言い放つと軽やかにバス停を出て行った。その姿をしばらく見送っていたら、元々こういう飄々とした感じに惹かれたのだと、青い感覚が再びしみじみと湧き上がってくるように思い出された。よし、と自分を励ますように言い聞かせバス停を出ると、夜風が体に染み入るように吹き抜けるのだった。まだ寒い。春はもう少し先なのだと思った。

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