wunderkammer : Etudes pour Ecriture

今の気分の備忘録、あるいは、過去の自分の生き直し

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映画を観た帰りに横浜の街を歩いた。伊勢佐木町から野毛にかけての旧歓楽街から野毛山動物園辺りの小高い丘にあるなひと目見てそれとわかるような高級住宅街を抜けて巨大な帆船や観覧車のある港沿いを進み横浜駅を目指した。

港沿いの明るい道を歩いていると右手に小さな遊園地を見つけた。アトラクションはどれも手が届きそうなほど小さく子供向けのようでいて、意外にも高速で動くので傍から見ていても肝を冷やすようだった。左手には雰囲気の良い商業施設が並んでいる。古着のコートに垢じみたマフラーを巻き、ぶかぶかのスウェットとコーデュロイのズボンを履いた私が立ち入ることさえ許さないような「上質な」施設だ、と妙に卑屈になりながら逃げるように大股でずんずんと歩いた。地図はもちろんスマートフォンすらも持っていないので、見慣れぬ横浜の光景に少し戸惑いつつも進み続けると、運河にかかる橋を越えたところで高層ビルの立ち並ぶ区域に入った。この辺りは初めて歩くのだがなぜか懐かしいような切ないような気分になる。この光景が何か自分の記憶の奥にある、ある部分を刺激し続けているのだろう。しばらく考えているとそれがどの記憶であるか何となく思い至るものがあった。横浜のビル街が東京の浜松町を歩いている時の光景とどこか似ているのだ。

私は故郷の八丈島へ帰省する際航路をよく利用するのだが、その時に必ず訪れるのがJR浜松町駅だ。駅を出てしばらくビル街を歩くと突如、照明に照らされた大きな帆が見えてくるのでそれを目印にしながら歩くのだ。そうしていると同じように伊豆諸島の島々へ向かう人々がそれぞれに荷物を抱えながら歩いていくのを目にするのだが、その人々に同郷の友人というか、人生のひと時を共にする同志のような共感が芽生え妙に嬉しくなってしまうのだ。浜松町駅を降り道すがらコンビニで酒をもとめる、しばらくして船内に入ると東京駅であらかじめ用意しておいた弁当を掻き込みつつ、つまみと共に酒を呷る、こうして満たされ気持ちよくなるうちに寝てしまい、気づけばもう島の港近くだ。夜の間太平洋上を波を割りながら進んだ船のデッキに上がると、襞のように折れ曲がり重なり合った歪な形の山と地元では「八丈富士」と称される形の整った山からなる、見慣れた島の姿形が一面に広がっている。サンゴ礁からなる白砂により鮮やかな青色を見せる沖縄の海と違い、火山のマグマが固まった岩石からなる蒼黒い海が伊豆諸島の海の特徴だ。この時になって初めて、帰ってきんだと心からしみじみと感じるのだ。私はこの帰省の際に何となく通り過ぎていた浜松町のビル街の光景や帰省する船での放埓な夕食、そして海上から見る故郷の風景を、横浜の港沿いの道を歩きながら思い起こしていた。このまま何もかも擲って故郷へ帰ってしまいそうな欲望に駆られながらも、当然そんな馬鹿らしい思いつきを実行に移す勇気はなく、私は幹線道路に備え付けられた大型の青色の標識に「横浜駅」の文字が見えると少し安心するのだった。