毎週『出没!アド街ック天国』を録画までして見ている20代が日本にどれほどいるだろうか(いや、ほとんどいない)(モノの話1)

先日アド街台東区の鳥越というエリアが特集されていて、毎週アド街を録画して欠かさず見ている私は約1週間遅れでそれを見ることになった。鳥越は、毎回番組のゲストが「私にとってこの街は、、、」とフリップに示しながら軽くエピソードトークをするという流れに沿って言えば、私にとってはモノ作りの街だ。浅草橋駅から歩いて数分のところにあるパラボリカ・ビスというギャラリーは西洋のアンティーク(と言ってしまうと一気に陳腐な雰囲気になってしまうが)のようなモノに囲まれながら、球体関節人形や生々しい絵画などの怪しげな美術品を楽しむことの出来る、昨今「流行っている」建物に入るのにも1時間以上行列をしなくてはならないようなものとはかけ離れた展覧会を催している。学生時代私はここに足しげく通ってはそこにある美術品の数々に、そしてそれを「なんてことないように」鑑賞する自分に、言いようのない快楽を覚えていた。ここにはモノに対する、ある種の呪いのような執着、フェティシズムを感じていた。もちろんアド街のランキングには掠ってさえいなかったが。では何がランクインしていたのだろうか。印象に残ったモノが2つある。

 

ひとつ目が廣田精孝商店のハンカチだ。国産のハンカチが少し心配になってしまう(こんなんで商品作っている人達は食っていけているのだろうか、という性質・方向のもの)くらい手ごろな価格で手に入るのだという。岩下尚史氏の著作の影響から、持っているハンカチを今後全て麻の白のものに替えていこうとしていたところだったので、見た瞬間に「まさにこれだ」と思ってしまった。小売をやっていることに期待しながら近いうちに浅草橋へ遊びに行くことを決意した。

もうひとつが前原光榮商店の傘だ。雨傘2本、折り畳み雨傘、日傘、計4本を所持している私にとって前原の傘がテレビ番組で紹介されるのは非常に嬉しい。山田五郎が「30年使ってます」と言っていた(そう考えると20代後半くらいから使い始めたのかな、と勝手に想像を膨らませてもみる)ように、本当に素晴らしいモノで、これをどれだけ長く「使ってあげられるか」が自分の紳士としての度量を試されている気にもなる。こう表現するとちょっと気持ち悪いかもしれないが、いいモノを手にする以上はここまでこだわらなければならないと思う。

 

こだわりのモノで自身を着飾り、そのモノが持つ特性や機能を十分に活かしながら、できるだけ長くそれらを使い続ける。ダンディの第一条件とも合致するが、こうありたい、いやこうでなければならない。モノへ執着することはどちらかというと醜いことと思われがちだが、モノに執着しなければモノへの執着は捨てられないのだろうか。ごくごく単純化すれば「飽きる」ということだ。執着を捨てるために執着する、これが今自分を衝き動かしているモチーフといえる。

 

思いつくままバラバラな話題を並べてしまった。はじめに書いたギャラリーのことは、今回書きたかったテーマとは基本的には違う話ではあったのだが、学生時代に興味のあったことと、現在の自分を構成する上で割合大きい比重を占めるこの「モノへの執着」という哲学が、この鳥越/浅草橋という地を介して繋がってしまったことに気付いたため何となく当時のことを思い出しながら書いてみた。もちろん今でも「そういうモノ」への興味は尽きない。それが今の仕事を頑張れない要因になりつつ、(モノへの執着を呼び起こすことでお金を使わざるを得ない環境を作り出し、結果的に)今の仕事を辞めることができない遠因にもなっている、というのは何だか皮肉な気がするが。まあ何にせよモノに執着することでいずれモノへの執着を捨て、身軽になる。最後はこれだ、と思うのである。