中途半端な似非お洒落野郎のジャケットやコートの袖に縫い付けられたままのタグを蒐めて

いつだったか、しまむらからハリスツイードを使った商品が発売されて以来、身の回りのあらゆる秋冬物の商品に、これみよがしにハリスツイードのタグが付くようになった。本来(当たり前だが)ハリスツイードの価値はそのタグにはない(ファッションオタクが大好きな「そもそもこれは」的な薀蓄を垂れ流す必要は感じないのでこれ以上ハリスツイードの歴史について掘り下げることはしない)。あくまで「これは割とちゃんとしたツイード生地です」ということの証明であるのだから、どちらかというとセーターの首元に付いているウールマークのタグに近いものであったといえる。

そういった意味ではこの類のタグと同様に話題に上ることの多いマルジェラの数字が羅列されたブランドタグ(及びその裏側、すなわち服としては表側に出てくる4か所のステッチ)とは根本的にその意味が違う。後者はどちらかといえばラコステフレッドペリーのポロシャツ、ブルックスブラザーズや(ポロ)ラルフローレンのシャツの胸の辺りで静かにそのブランド性を主張している刺繍に近く、前者は産地や組成を標示しているタグでしかないはずだ。

 

ハリスツイードはブランドではない。しかしそのタグがそれ単体である一定の価値を持ち始めている。ハリスツイードがブランド化している。

 

例えば名のあるブランドであれば、個人的にはあまりこの考え方には賛成できないが、品質や産地とは関係なくこのブランドのこの商品を「持っている」こと自体に意味がある、ということが間々ある。デザイナーやブランドイメージ、それを愛用している有名人などブランド名(タグ)自体に意味と価値があるからだ。

ではハリスツイードタグはどうか。しまむらが安価な「ハリスツイード」を発表してから、必然的にその品質は低下している。というより、ハリスツイードを名乗ることが許される幅が広がり、元来そのレベルでないものまでもがハリスツイードであることが可能になっている。しかも、その品質を保証するための証明書のようなものとして、服の裏地に目立たないよう縫い付けられたり仕立ての行程で取り外されるはずのものが、まるでそこに存在すること自体に意味があるかのように洋服の目立つ位置に縫い付けられ、それがそのままの状態で着用されることが多くなっているのである。言い換えれば、そのモノ自体の価値は低下し、標示でしかなかったタグに意味が生じてきている。これが、私がハリスツイードがブランド化していると述べるゆえんである(もちろん必ずしもハリスツイードの商品がそう「でない」ように、多くのブランド品はモノの価値を蔑ろにして、そのブランドであることを示すタグだけに価値を見出させようとしているのではないし、私自身そういうことを主張したいわけでもない)。

こう言ってしまうとキッチュ論の方面へ話が流れてしまいそうなので深追いはしないがあえて述べておくとすれば、ハリスツイードの現状は、深層であるところの品質がすっぽりと抜け落ち、表層であるところの名前が強調されている。

こうハリスツイードをとりまく状況を整理していくと、この現象が何かに酷似していることに気づく。これはまさに「流行り」のメカニスムなのである。これまで考えてきたことをひと言で言ってしまえるとすれば、ハリスツイードは流行っている。そうだとすれば、流行が去ってそれに踊らされていた人々が正気を取り戻すかのように、もう一度しっかりとしたものづくりとスコットランドの良質のウールを使った良品であることの証明として、ハリスツイードのタグが燦然とその洋服の裏地の見えない部分に輝くことを願ってやまない。

 

そういえばこの間、某ショッピングサイトで「安心の国産ハリスツイード」という文句を目にした。しまむらがあの日崩壊させてしまったハリスツイードタグの意味は、とうとうここ(極東)まで流れ着いてしまっていたのである。