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M.A.T.U.Y.A.

残業で疲れた日、休日何もする気が起きず朝昼の食事を抜いた日、深夜のテレビで見る料理が異様に美味しく映る日、足が向くのは専ら松屋だ。昨年末の「白菜と鶏肉のクリーム煮定食」は気が狂ったように通っては、毎回W定食(930円)で、食べた。

 

その「クリーム煮定食」が販売終了となった今は牛丼ばかり食べている。

牛丼の食べ方には自分なりのこだわりがある。特盛で注文し生卵をトッピング、割った生卵は軽く混ぜ大量の七味とその日の気分でタレ(カルビ、バーベキュー、ポン酢)を入れる。半分ほど食べた丼にそれを入れ、残りを掻き込むスタイルだ。健康や栄養などと引き換えに満足感や幸福感を得られるこの一食のために生きている、と思うこともある。

 

先日国分寺紀伊國屋書店で3冊ほど書籍をもとめた帰り、ふらつく足取りで駅前の松屋に入った。この日も朝からまだ何も口に入れていなかったのだ。店内はなかなか盛況でいずれもおひとり様7、8人程が各々自らの食欲を満たすためだけの食事を、している。店員はみな日本人に見える。ここのところどの松屋に入っても日本語も覚束ないような外国人の店員が店頭の最前線でオーダーを取っている(これはこれで好きではある)のが当たり前の光景なので、少し珍しく思う。いつものように牛丼の特盛と生卵を注文し独り黙々と食べ始め、生卵になみなみと七味を振り掛けながら(今日はカルビの気分だな)と調味料が並ぶ棚に視線を移した頃、背後から不穏な独り言が聞こえ出した。「おい、何だよ畜生。」と店内のBGMにかき消されるか否か程の悪態である。ほどなくしてその悪態を吐いた男が店員を呼び出す。やりとりに聞き耳を立ててみるとどうやら男は券売機に1万円札を入れ、途中で注文を取り消そうとしたのだが入れたはずの1万円札が返ってこない、ということらしい。この時対応していた店員は気の優しそうな「普通の男性」で、丁寧に謝罪をし、券売機を開けて中をチェックしているようだ。「申し訳ありませんでした。ご注文はいかがなさいますか。」と尋ねる店員に対し男は「いやもういいから。とりあえず1万円返して。」「ったく、何なんだよ。」と荒々しい言葉を投げかけ店員が渡そうとした1万円札を引き捕えるように攫み足早に店を出て行った。

 

この間わずか1分強程度だろうか。どう考えても怪しかった。松屋の店舗は入り口の左右それぞれに券売機があるが、1万円札を投入することができるのはどちらか片方のみである。入店し、財布から1万円札を出しながら1万円札を投入できる券売機を探し、1万円札を投入、「やっぱり取り消そう」と思い至って返却ボタンを押すまでの時間を考えるとあまりにも短すぎる。食券のシステムを利用した屑人間が詐欺を働く瞬間を目の当たりにしたのかもしれない。後々でいい、店舗の責任者が監視カメラを見直し詐欺であることが確認され、警察の技術により即犯人が特定され大した手間もかけず捕まってほしい、と本気で願った。残り半分程になった牛丼を掻き込みながら。

満腹になって店を出る時(こうだけはなりたくないな)と思いながら、私は何故か少しだけ晴れやかな気分になっていた。食欲が満たされたから、だけではないだろう。目の前に(かつ自分とは関係の無いところで)肯定すべきところのない全うたる屑人間、という恰好の蔑みの対象が現れたのである。醜い。あの男だけではなく、彼の所業を素知らぬ顔で盗み見、それに頭の中だけで正義の鉄槌を下し、気分良くなっている私の、捻れた気味の悪い欲望が醜い。

 

とはいえ、この味は忘れがたいのである。生活には全くと言っていいほど楽しみがない。生活の隙間から漏れ出てくる「蜜の味」を求め、眼をぎらつかせ腹を空かせながら彷徨うように生きていくしかないのだ。かつて「こうだけはなりたくない」と思っていた人間に、いつの間にか私もなってしまっているのである。